おう、来たか。
カクテルの夜はどうだった? 禁酒法時代のスリルは、あんたをいい男にしてくれたようだ。
だがな、今夜は、これまでとはレベルが違う。
これまでの酒が、人生の「喜び」や「哀しみ」に寄り添うものだったとすれば、今夜の酒は、あんたの「理性」そのものを試しに来る。
「裕次郎とゆく世界の酒巡り」第二部、第四夜。
アジアの「灼熱」と、ヨーロッパの「幻想」。
少し「危険な酒」だ。…覚悟はいいか?
🚢 第二部 第4回:灼熱と幻想
~白酒とアブサン、理性の向こう側~
1. アペリティフ ~今夜のロマン~
けたたましい喧騒。熱気。むせ返るような香辛料の匂い。
ここはアジアの大陸、中国の宴席だ。
テーブルには、これでもかと料理が並び、人々が赤ら顔で叫んでいる。
「乾杯(ガンペイ)!」
その声と共に、小さなグラスの透明な液体が、一気に喉に流し込まれる。
飲んだ瞬間、食道が焼けるような「熱」が、腹の底から湧き上がってくる。
…場面は変わる。
パリの裏通りのカフェ。夜も更け、芸術家たちが議論に疲れた顔で座っている。
一人の男が、緑色の液体が注がれたグラスに、角砂糖を乗せたスプーンを置く。
冷たい水が、ポタリ、ポタリと砂糖を溶かし、緑色の酒は、乳白色に白濁していく。
男はそれに見入ったまま、やがて狂ったように笑い出した。
今夜は、理性を溶かす「灼熱」の白酒(パイチュウ)と、理性を惑わす「幻想」のアブサンだ。
2. メインディッシュ ~その一滴が語る物語~
この二つの酒は、生半可な気持ちで手を出すもんじゃない。
一つは、「白酒(パイチュウ)」。
中国4000年の歴史が生んだ、最強の「蒸留酒」だ。
高粱(コーリャン)やトウモロコシを原料に、独特の「麹(チュイ)」で発酵させる。
何より恐ろしいのは、そのアルコール度数。50度、60度は当たり前だ。
そして、あの強烈な香り。パイナップルか、熟しすぎた果実か…。一度嗅いだら忘れられない。
だが、この酒の真髄は「飲み方」にある。
宴席では、目上の人間から注がれたら「乾杯(飲み干す)」のが礼儀。断ることは許されない。
これは、酒であると同時に、人間関係の「力」を試す、コミュニケーションの「道具」なんだ。
もう一つは、「アブサン」。
「緑の妖精(La Fée Verte)」と呼ばれる、ヨーロッパの「禁断の酒」だ。
ニガヨモギ、アニス、フェンネルといった薬草を漬け込んだ、強烈なリキュール。
かつて、その原料(ニガヨモギ)に含まれる「ツヨン」という成分が、幻覚作用を引き起こし、人を狂わせると信じられていた。
ゴッホ、ロートレック、ヘミングウェイ…多くの芸術家たちが、その「幻想」の虜となり、身を滅ぼしたとも言われる。
その危険性から、一度は製造禁止にまでなった、まさに「魔性の酒」だ。
3. 知性の交差点 ~グラスの底の哲学~
さあ、今夜の哲学は、重いぞ。
「理性の溶解と、創造の狂気」だ。
白酒の哲学は、「集団と個の溶解」だ。
あの「乾杯」文化は、一見、野蛮に見えるかもしれない。
だが、あの高い度数の酒を、強制的に「飲み干す」という行為は、何を意味するか?
それは、「個」の理性や建前、プライドを、一瞬で「溶解」させるということだ。
「俺は部長だ」「私は客だ」…そんな壁は、アルコールの前では無意味になる。
素っ裸の「人間」として、「集団」のルールに従い、同じ「痛み(強さ)」を共有する。
そうすることでしか生まれない「一体感」や「信頼」が、アジアにはある。
これは、西欧的な「個」の尊重とは、まったく違う場所にある「結束の哲学」だ。
アブサンの哲学は、「創造と狂気の境界線」だ。
なぜ、天才たちは、身を滅ぼすとわかっていて、あの「緑の妖精」に手を出したのか。
それは、彼らが「常識」や「理性」の向こう側にある「何か」を見たかったからだ。
普通の人間が見ている「現実」だけを描いても、芸術は生まれない。
日常のタガを外し、脳の奥底に眠る「幻想」や「狂気」に触れる。
アブサンは、その危険な「扉」を開ける「鍵」だったんだ。
創造とは、いつだって狂気と紙一重。
美を追求するためなら、破滅さえも恐れない。そんな芸術家たちの「業(ごう)」そのものが、この酒には溶け込んでいる。
4. デジェスティフ ~裕次郎流・今夜の一杯~
…少し、飲みすぎたか?
だが、俺たちもこの「儀式」をやらなきゃ、この旅は終わらない。
<俺流の飲み方>
白酒は、もう「乾杯」しかない。小さな「白酒グラス」で、郷に入っては郷に従え。理屈を言う前に、飲み干すんだ。
アブサンは、儀式を楽しむ。「アブサンスプーン」に角砂糖を乗せ、上から冷たい水を一滴ずつ垂らす。緑色が乳白色に変わる、その「時間」を味わう。
<合わせたい肴>
白酒には、あの強さに負けない「油っこい中華料理」だ。火鍋、麻婆豆腐、北京ダック。
アブサンは、肴はいらない。あの強烈なハーブの香りが、すべてを支配する。あえて言うなら、角砂糖の「甘み」だけだ。
<聴きたい曲>
白酒には、けたたましい「京劇の銅鑼(ドラ)」の音か、宴席の「喧騒」そのものがBGMだ。
アブサンには、エリック・サティの「ジムノペディ」。幻想的で、美しく、どこか不安になるピアノがいい。
ふう。どうやら、俺もあんたも、無事に「理性」を保ったまま戻ってこれたようだな。
灼熱と幻想の夜は、強烈すぎた。
もう十分だ。
冒険も、狂気も、もう十分。
旅の最後くらい、心から「癒される」酒が飲みたい。
そうだ、次は、修道院や、イタリアのおばあちゃんの知恵が詰まった、あの酒だ。
(第二部 第5回「大地の温もり(リキュール・薬草酒)」へ続く)
九州・糸島に住む昭和77年8月21日生まれの青年。セネカや老子、石原裕次郎さんを愛好。


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